(1)九谷焼独特の絵付

九谷は絵付を離れて存在しない」といわれるとおり、九谷焼の特色は何よりもその独特な絵付です。

九谷焼の絵付をみると、縁文様と見込み模様、あるいは地文様という形式をとるものが多く、その見込模様は文様というよりも絵画的です。見込みに描かれた模様は山水、風景、花鳥、牡丹、鳳風、幾何学文、点景人物文など、絵画と思えるようなものばかりです。

そして、それらは多種多様で一点一点が異なり、似た模様があっても同一なものがなく、一定の画風ともいうべきものがないのではないかといわれます。この点からいって、九谷焼の模様は画家が描いた絵ともいわれるのです。

一つの例として、古九谷色絵の代表ともいうべき「色絵鳳凰図平鉢」(石川県立美術館所蔵)を見ると、白の素地をキャンバスにして「器面いっぱいに瑞鳥である鳳凰をただ一羽だけ」が描かれていますが、「鳳凰の胸部の張り、鋭い目つき、足部の力強さ、尾羽の動きなど、写生を基礎にデフォルメ(対象、主に人物の特徴を誇張、強調して簡略化・省略化する表現方法)された造形の美しさ」と「五彩で彩られた色彩の絢爛豪華さ」が素地の余白によって引き出されるように器面いっぱいに絵付されています。

一方、九谷焼の中でもう一つ、深く根付いている赤絵金襴手においても同じことがいえます。宮本屋窯の代表作である「赤絵花鳥文鉢」(石川県立美術館所蔵)では、赤を主調にして全体の構図を描き、深鉢の内と外に種々の複雑な枠取りをして、外側三方には黄・緑の絵の具と金彩を加えて華やかに主文様である花鳥を、さらに赤絵細描の技法によって多くの小紋を描き込んだ、すばらしい繊細な筆の運びの絵付を見せてくれます。

九谷焼の絵付の伝統は、華麗繊細でありながら豪放な古九谷の絵付がその後の九谷焼に引き継がれてきました。古九谷は、京の文化を手本にしながら、独自のものを創り出した加賀の文化と深いかかわりがあります。そもそも、古九谷が誕生した頃、加賀藩の細工所には絵師がいたのですが、陶画工は存在していなく、古九谷の絵付は絵画を学んだ大聖寺藩の武士によると考えられています。ですから、狩野派の画家 久隅守景のような専門の画家によって描かれたと考えられる作品があります。

こうしたことから、九谷焼の絵付は職人的熟練によるものでなく、絵画に練達した陶画工によったといわれてきました。その後、幕末から明治初期に活躍した、卓越した陶画工は大聖寺藩の藩士であり、あるいは京などの画家に師事した者が多いのです。ですから、肥前磁器の絵付が、各地の職人によって、最初に絵唐津、それから染付での絵付が続き、完成されていったことを考えると、自ずから、古九谷の作風と異なってくると考えられています。

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