磁器を見るとき、どうしてもその見込みの模様に多くの鑑賞者の眼が移ってしまい、縁、地、裏面などに描かれている文様が二の次に回ってしまいがちです。ところが、磁器の多くはその用途に合わせて様々な文様が描かれていて、それらが独創的に創り出されたものであり、あるいは古き、良きものから写されたものが使われてきたことがわかってくると、自ずから観る人も文様にも興味を抱くことになります。
“模様”は、ものの中心的な表面に表された図、絵などのことを意味し、“文様”は、図であることに変わりないものの、もう少し装飾的な効果をあげるために規則正しく繰り返される図形のことであるといいます。各種の装束を飾った模様をモチーフとして多くの文様が生み出されたとわかれば、この二つの言葉の曖昧さも納得できると思われます。
文様としては、平安時代に遡ると、宮廷の装束を装飾した雅やかで格調高い文様がありました。それは有職文様(*1)と呼ばれ、今なおいろいろなところで使われています。大陸からもたらされ、我が国へ迎え入れられた様々な装飾が宮廷の装束や調度にも転用され、やがて日本人の美意識に即した典雅な形へと昇華し、次第に広く愛好されていきました。その文様が、室町から江戸時代にかけて発展、確立した能において役柄に合わせ仕立てられた装束を飾った文様に影響して、能の文様が創り出されたといわれます。
(*1)有職文様 隋・唐から伝えられた文様を和様化したもので、日本の文様の基調をなしています。有職とは、平安時代の宮中の儀式や行事に関する研究者や学者を有識者とよび、その有識者たちが着用していた衣服の模様が有職模様であったことから、こう呼ばれ、広く用いられています。代表的なものには、鳳凰、雲鶴、丸文、菱文、七宝、唐草文があります。
そして、いつの時代でも、慶賀の祈りから生まれた吉祥文様が人々の生活に根付いたように、時代と共に洗練されながら、粋や洒落といった感性とも通じて成熟しました。人々の生活の中で用途(婚礼、子供の誕生、多産、夫婦円満、出世、繁栄、富貴、健康、長寿)に応じてそれにふさわしいデザインとして「めでたき意匠」が使われました。ですから、数多くの吉祥文様が偶然に作られたというより、やはり様々な職人が用途に見合った文様を制作した結果であるといえるようです。代表的なものでは、鶴・亀・鳳凰・龍・松竹梅・四君子・牡丹・宝尽くしなどがあります。
やきものの文様を考えると、最も古い文様と言えば、土器に縄を使ってつけた“縄文”の文様があり、その他にも多くの文様が生み出されてきた。それらの文様はその時代の文化、身近なもの、古き良きものなどにモチーフを求めて生み出された。江戸時代の能装束、絵画、工芸品などを飾る様々な文様が磁器、特に九谷焼に大きな影響を与えたといえます。
九谷焼の基本的な文様は有織文様を反映しており、他にも、能装束に見られる幾何学文様(亀甲、菱、格子、紗綾形など)、吉祥文様、植物文様(梅、菊、唐草、花小紋など)、動物文様(蝶、七子文(ななこもん)など)、自然現象文様(青海波、雲など)、人造物文様(扇、矢羽根など)など数えきれないほどあるのである。こうした文様が九谷焼の鑑賞者の目を楽しませてくれるのです。