(1)九谷焼伝統的様式;青手

青手はその基本的な色が深みのある緑と黄、これに紺青と紫が加わり、赤を使わない様式です。日本では古くから緑を青と呼んでいたことから、このように呼ばれ、九谷焼独特のものであることから青九谷ともいわれます。

古九谷には、赤色を全く使わず、緑・黄・紺青・紫のうち三彩または二彩のみを使用している青手古九谷と呼ばれるものがあり(画像は「青手桜花散文平鉢」石川県立美術館所蔵)、器体の表裏を埋めつくす塗埋手になると、さらに豪華さが増してきます。古九谷が作られた頃は長い戦さから50年以上を経て、自由闊達な気運が広がる中にも障壁画に見られる絢爛華麗さも追い求める空気が残っていて、大胆かつ華麗な作風を見せる様式が生まれたといいます。その意匠は創造的であり躍動的で、きわめて絵画性が強く、日本の油絵といわれています。

この様式は、江戸後期に、再興九谷の吉田屋窯、次いで開かれた松山窯にも見られ、新たな青手九谷の世界を創りました。吉田屋窯の基本は青手古九谷の技法を踏襲しながらも、白素地(やや黄ばんだものも)を見せる部分と四彩の絵具がうまくまとめられた色絵ともいえる作品があります。それらの筆運びの速度が増し、そこに漂う特有の軽快さを、そして、江戸時代後期の九谷焼特有の緻密な繊細さが感じ取れます。

吉田屋窯が閉じられたあと、松山窯でも青手九谷が作られました。この窯では紺青に不透明な花紺青が使われ、緑は黄味が多くまた紫はやや赤味がかかっています。意匠は青手古九谷を意識したものも含まれます。

青手九谷は、明治以降「ジャパン クタニ」で大いに人気の出た赤絵金襴手と対極にある九谷焼独特の様式として、徳田八十吉などの作家によって多様化して受け継がれています。

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