明治九谷の作品解説 富田松鶴 赤絵金彩網手金魚図鉢

鉢の内側と外側に張り巡らされた網の編み目は、下がるにつれて細かくなります。 この精巧で巧みな描画技法は「網の手」と呼ばれ、佐野九谷の創始者である斉田伊三郎(道開)によって最初に考案されました。 その後、この技法は斉田の弟子たちに受け継がれ、弟子の一人である、初代 富田松鶴がそれを得意としました。 網目模様は陶画工ごとに特徴があり、この技法は明治時代の赤絵様式の一つとなりました。

サイズ 口径 約11.8㎝ 高さ 約7.2㎝

鉢の内側を上から見ると、まるで4匹の金魚が網の中を泳いでいるように見えます。 網の目が下に行くにつれて細かくなり、網が中央にまとめられて卍をつなぎいだ(紗稜文の)丸い模様のようで、編み目の線の太さにムラがないなど驚くべき技です。

次に外側を見ると、ここでも、まるで網の中を泳いでいるかのように4匹の金魚が描かれています。 巧みな筆運びも見られ、金魚の鱗、尾びれの縞模様が金襴で細かく描かれ、小さな黒い瞳がかわいいです。

銘は「九谷/松鶴堂/七十五翁筆」と書き入れられています。斉田道開の他の門人の中にも、七十歳を超えてことを寿ぐようにこうした書き入れをしたようです。斉田道開の門人であった初代 橋田与三郎も「加賀/九谷/七十六翁/与三郎」と書き入れています。斉田道開が明治元年七十四歳で亡くなっていることと関係があるようです。