赤絵金彩や金襴手が目立つ明治九谷においてよく描かれた花鳥図や人物図でもないこの作品の図案には興味が引かれます。金沢の民山窯の陶画工であった鍋屋吉兵衛を父に持つ内海吉造が選んだモチーフは、古九谷に見られる罌粟(ケシ)図(下段左の画像;石川県立美術館蔵「古九谷青手罌粟図平鉢」)であり、その図案を民山窯の作品(下段右の画像;鶏声磯ヶ谷美術館蔵「武田民山 色絵割取人物山水図蓋物」の内側部分)に見られる構図に当てはめたように思われるからです。
基本となる文様は唐草文と“網目に小紋”ですが、さらに図案化された罌粟の花やケシ坊主などが描かれ、いずれも五彩の絵の具で色彩豊かに絵付されています。
サイズ;径 約21㎝ 高さ 約5.2㎝
罌粟(ケシ)の花を上から見て、赤く塗った花びらを唐草文に仕立て、見込み中央のおしべから縁に向け伸ばし大きくしながら描いています。さらに花びらが落ちた後も考えて、群青で塗ったケシ坊主も加えられ、地紋には黄の小紋が緑の網目にはめ込んで描かれています。
このように、絵の具は黄、緑、群青、紫、赤の五彩ですが、九谷五彩では赤と群青が補色であったのと違い、この作品が明治九谷のため、やはり赤を多く使い、さらに赤の上に金彩で唐草文も描かれています。
大きく伸びた唐草文の花びらは見込みから鑼鉢(どらばち)の縁を超えて側面まで続き、高台まで伸び、“網目に小紋”が裏表の地紋として埋め尽くされています。こうした計算し尽されたような描き方には制作者の卓越した巧みさが感じられ、明治九谷の特色の一つとされる図案の緻密さ、細密さがここに見られます。
銘は四角い枠の中に「松齢/陶山/堂印」と朱赤で書き入れられています。内海吉造の屋号は「松齢山陶山」ですが、「松齢堂北秀」と銘の入った作品が見られることから、「松齢堂」を為絢社という絵付工場の屋号として使ったと思われます。