径34㎝の大皿には庭先に植えられた年代(風格)を感じさせる牡丹の庭木一本が描かれています。牡丹の色合いも落ち着いていて、牡丹の花なども金彩されていますが、縁の四か所に描かれた金襴手の文様、金彩された図案によって牡丹が引き立てられています。
牡丹はその花言葉「富貴」や「高貴」の象徴であったこともあり、その苗木は高価でしたので、一部の富裕層しか楽しめなかったといわれます。ところが、明治期になると、シャクヤクの台木を用いた牡丹の接ぎ木方法が考え出されると、普通の庭木として広まったといわれます。
この作品の制作者も自宅かどこかの家の庭先にあった牡丹を見て、「風格ある振る舞い」という別の花言葉と落ち着いた作風とを重ね合わせてこの「牡丹図」を描いたように思われます。
明治期に輸出された大皿や大きな花瓶の素地を造るのは大変な労力がいる作業であり、高度な技術も必要でしたが、それらの輸出がひと段落すると、優れた陶工によって歪みのない、均一の厚さで、また洋絵の具と乖離しない大型の素地が製作され、大皿類(このギャラリーに展示されている「高田嶺山 色絵金彩厳島神社図大皿」など)が国内向けにも多く制作されました。
銘は一行書きで「九谷北山」と書かれています。他に「九谷北山堂」があります。