明治九谷の作品解説 松本佐吉 色絵鶴文八角瓢形徳利一対

それぞれの徳利の表面には、三羽の鶴、黒呉須でひかれた縦縞の文様、花のつなぎ文などが、古九谷独特の寒色系の絵の具で描かれています。その絵の具からは、“これぞ古九谷の色である”と主張しているように見えます。

この制作者、松本佐吉が明治41年(1908)に古九谷青手の制作に取りかかる以前から青九谷の制作が始まっていました。明治26年(1893)ころから、松本佐平の下で、初代徳田八十吉が、修業する傍ら、古九谷の絵の具の再現に努力したことから始まった青九谷の流れは、八十吉が古九谷とほぼ同じ作風を築くと、次々に、他の陶画工によって古九谷風の作品が制作されるといった大きな潮流に変わりました。そうした中の一人が、松本佐平の養子となった松本佐吉であり、この作品が、佐吉が古九谷への思慕と情熱をもって制作した作品であると強く感じられます。

サイズ 口径 約1.9 cm 幅 約7.2 cm 高さ 約16.6 cm

この作品には古九谷の名品『色絵鶴かるた文平鉢』からモチーフを得たと思われるところが見てとれます。それは三羽の鶴の舞う姿に最もよく表れています。徳利の下半分に、縦模様の緑の地を背景に、飛んでいる三態の鶴の姿が黄、紫、群青の寒色で塗られながらも、生き生きと飛び、その上に、瑞雲に見立てたような紫の花草の繋ぎ文が描かれています。

では、本歌である古九谷がどうであるかというと、緑の縦縞を背景に、数羽の鶴が美しく輪舞する姿が黄と白と呉須の線で描かれ、当時としては珍しいスペードが紫で描かれています。佐吉が鶴、緑の地に縦縞、紫の文様などのモチーフを古九谷から得て描いたことがわかります。

八角の瓢の美しい形にはかなり高度な技巧が求められたといわれます。明治後期に、こうした手の込んだ素地が多くの陶画工に供給され、名品が生み出されたのは、多くの優れた型師が活躍するにつれ、型押し成形が普及したことが考えられます。この作品にも、絵付と合わせて、成形に手の込んだ高い技量が見て取れます。

銘は二重角の中に「佐吉」と書き入れられています。この銘は珍しく、古九谷の二重角に「福」に倣ったものです。それだけに、この制作者が古九谷へ強い思慕を抱いていたことがわかります。合わせて、共箱の蓋の内側に「佐吉」の署名と印があります。