明治九谷の作品解説 清水清閑 赤絵金彩花鳥図湯呑

制作者(清水清閑)は多くの名工を生んだ阿部碧海窯(内海吉造が工場長、任田徳次、岩波玉山が主工でした)の陶画工となり、後に、明治初期の名工の一人までになりました。日本画のような図案や精緻な文様を巧みに描き、この小ぶりな湯飲み茶碗に華麗な赤絵金彩で絵付しています。金沢九谷が明治九谷の優品の代名詞といわれたことがわかる作品です。

この大輪の牡丹の花の横には金で漢文が書かれていて、その漢文を「□□楊妃につぐ名高き仙子の花」と解釈すれば、制作者は“富貴の花”といわれる牡丹の花がとても美しいと、古代中国の美人とされた楊貴妃を引き合いに出して、賞讃したかったと見られます。仙子が百人の花の精を統括する花神とされるので、牡丹の花を百花の中で最も富貴溢れる花として描いたと思われます。赤の濃淡、金線の細さ、石目打ちの技法による点描など、金沢九谷の繊細な描写が見られます。

江戸末期に赤絵細描で誇った八郎手にすでに見られた“雷文”、明治10年頃まで流行った“石目打ち”の文様、そして赤地に金で点描した文様など、繊細さが随所に出ています。こうした技巧は明治九谷が“ジャパンクタニ”として世界から高い評価を受けたきっかけとなりました。

裏名に「九谷/清閑」と書き込まれています。高台内と茶碗の内側にニュウが見られ、制作者が独立してからしばらくの間、こうした窯キズのある素地でも使わざるを得なかったという明治初期の素地の事情のわかる作品です。