明治九谷の作品解説 橋田与三郎 赤絵金彩富士飛鶴松図蓋付茶碗

この蓋付の茶碗に見られるいくつかの図案の中で、「富士飛鶴松図」が側面や蓋に描かれているのを見ると、この図が主題であろうと思われる。他の図案(蜻蛉と草花、雁の群れ)と考え合わせて、制作者が自分の慶事(長寿)を祝って、晩年に製作したと考えられます。師であり義父である齊田伊三郎(道開)が長寿であったこと、また、大正時代に入り、道開の愛弟子であり同輩であった西本源平、亀田山月、道本七郎右衛門、富田松鶴らが長生きした後に亡くなったこともあり、思いを込めてこの作品を製作したと思われます。

サイズ;口径 約7㎝ 高さ 約8.6㎝(蓋を含む)

この「富士飛鶴松図」は、鶴・松・富士という縁起の良い文様を一組にしたもので、慶事に合わせて誂えられた着物や工芸品の図案に用いられたととおり、この作品でも、自分の長寿を祝ってこの図を選んだと思われます。道開が74歳で、与三郎自身が75才でそれぞれ亡くなりましたが、自分の長寿を誰ともなく感謝して、富士山と羽ばたく二羽の鶴、松の木の美しい風景を道開の創案した赤絵金彩で綿密に描いています。

茶碗の側面には別に二つの図案が描かれています。一つは伸びやかに成長した初秋の草花と羽を広げた蜻蛉(トンボ)です。この図からは、蜻蛉がもつ季節感(初秋)とともに名もない草花が成長している姿を今の自分に重ねていて、制作者の心情が映し出されているようです。

もう一つは、晩秋の情景としてよく用いられた「鴈の群れ図」です。雁は晩秋から初冬にかけ群れを成して飛来し、早春にまた北に帰るといわれ、そのとき鳴き渡る声が哀調を帯びるため、晩年を迎えた者の心情を表わすものとして絵画に描かれたように、この作品でも同じような心情が表わされたように見られます。

裏名は「九谷/与三郎」と書き込まれています。共箱にある箱書きには、蓋の表に作品名を表わす「九谷焼/赤絵/御湯呑」と、制作者を表わす「道開二代/与三郎」とが書き込まれ、さらに、蓋の裏に二代 橋田与三郎の朱印「橋田遊松」によって、“この作品が初代 与三郎の作であること”が確かであると示されています。

なお、ある資料では二代 道開は“二代 斉田伊三郎”であると表示され、また別の資料では初代 橋田与三郎が開いた工房が“道開堂”と呼ばれたこと、与三郎が道開の娘婿であったことに注目して二代目である表記されていますので、いずれが妥当であるかを判断するために更なる調査が必要です。